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第31回 人体実験の政治学
 

2002年12月7日(土) 9:45-17:30

東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室

1. ワークショップの目的

このワークショップでは、かつて歴史的に存在した人体実験の具体事例を いくつか正確に回顧することを通して、そこに錯綜した形で混在する科学 性、政治性、倫理性の問題を、糾弾的で告発的なスタンスをあえて避けな がら分析することを目指す。 というのも、人体実験は通常の医療に不即不離に結びついたものであり、 それを単に外在的に弾劾するだけではとうていその複雑な問題の肌理を 見極めることは不可能だからである。 アメリカで隆盛を誇るいわゆるバイオエシックスの成立にあたり、史上 存在した「非人道的な」人体実験への注目とそれへの反省という契機が 重要な役割を果たしたことを考えるなら、また90年代初頭にアメリカで 行われた放射能人体実験の暴露事件以降、人体実験論に再び注目が集まっ ているという現状を考えるなら、今日再び人体実験の射程を深く考察する ことはきわめて重要なものだと考えることが許される。 本ワークショップはこのテーマに統一して、問題の徹底的な掘り下げを 目指すものである。

2. ワークショップの時間割

9:45-10:00 ワークショップ趣旨説明

10:00-11:15 話題提供1 (討議25分を含む・以下同) 市野川容孝

   「十九世紀の人体実験と医療倫理」

ペッテンコーファーのコレラ菌(コンマ菌)自飲実験は、プレ細菌学パラダイムと 細菌学パラダイムの衝突という点のみならず、人体実験に関する医療倫理の 衝突という点でも、きわめて象徴的な出来事であるように思われる。ペッテン コーファーは、「たとえその結果がいかに科学にとって有益であろうと、すなわち 他人の健康のために有益であろうと、その人にとっては害にのみなるような実験 を、人間において決して実行しない」(C・ベルナール『実験医学序説』、この原則 を超えて認められるのは医学研究者の自己実験のみである、という19世紀的な 医療倫理に忠実であった。ペッテンコーファーは、その医学理論のみならず、医療 倫理においても、コッホと細菌学に「敗北」していくのであり、以後、「科学にとって 有益」ではあるが「その人[=被験者]にとっては害にのみなるような実験」は繰り 返され、事実、あまり注目されないが、少なからぬ医学研究者が刑事上の有罪 判決を下される。本報告では、細菌学以前の19世紀的な、人体実験に関する 医療倫理がどのようなものであったかを不十分ながらも明らかにし、その後の 変容との比較につなげたいと思う。

11:15-12:30 話題提供2 小俣和一郎

   「731部隊とナチスの医学」

そもそも医学は、人体実験なしに発展することはなく、新しい治療法のほとんどは 人体実験としてはじまる。われわれは、まずこの基本的な事実からスタートすべきだ。 人体実験を、単なる「悪」として批判してしまうのでは、医学そのものを否定することに なる。しかしながら、これまでの医学倫理(medical ethics, Medizinische Ethik)は、この 基本的な現実原則をどこかでおろそかにしたまま、「倫理」というものを、あたかも医師 個人の道徳的問題であるかのように論じ、「人間性」とか「人道主義」(いわゆる生命の 尊さ)などの一般的モラルのレベルへと平板化してきたかのようにみえる。 だが、このような大問題を、単なる一般道徳の問題としてのみ捉えていてよいのか、 −もしそうであるのなら、20世紀の現代医学が経験した日本の731部隊による人体 実験や、ナチ強制収容所において行われた人体実験も、単なる道徳の欠如や人間性の 喪失としてしか批判することはできない。731部隊で日々、人体実験にあたっていた日本 の軍医も、強制収容所で人体実験に手を染めたナチの医師たちも、単に一般道徳が 欠落していたというだけのことでしかないのか。 もし歴史に対して謙虚であろうとするなら、われわれはもう一度、過去の歴史のなかで 何が行われたのか、731部隊・ナチ医学の実態とは何だったのかを、再検証すること から出発すべきであろう。その際、とくに重要な視点は、731医学もナチ医学も、その 本質においては何の隔たりもなかったというスタンスである。この両者を別個のものとして 捉え、一方は細菌戦争(生物戦)のためのもの、他方は人種主義に由来するものと区別 することは(それ自体は歴史的に正しいとしても)、この歴史事実から多くのことを導き出す 妨げとなってしまうだろう。たしかに、それらは「戦争医学犯罪」として一括して語られ、 戦後はもっぱら「悪の象徴」「悪魔のしわざ」「反倫理の典型」としてのみ批判されてきた。 また、そこで行われた事実を単なる好奇の目で覗き込むかのような「怖いもの見たさ」の 心理で誇張して叙述する書き物すら現われた。 だが、これらを単なる戦争に付随する医学犯罪としてのみ捉えることも、また単なる例外的 な「悪魔の仕業」として片づけることも間違っている。そうした単純化からは、これまでの医学 倫理を見直そうとする一切の試みも、新たな医療技術の暴走を止めるための一切の有意味 な提言も生れないであろう。 たしかに731部隊・ナチ医学の人体実験に対する覗き見趣味的な倒錯的反応は別としても、 それを「倫理・道徳に反するもの」として例外扱いする従来からの批判パラダイムを不十分 なものとする反論は、すでにいくつか現われている。ナチズムを「悪の極致」と決めつける ことに批判的な目をむけた米本昌平*や、731部隊の人体実験成果が戦後の医学に 一定の学問的寄与をなしたとする常石敬一*らの議論がそれである。だが、これらの議論は、 過去のナチズムや日本の医学を逆に称揚して、それらに対する根本的な批判を骨抜きにする 危険性を伴っていないか。それが行き過ぎることによって、たとえば米本のように、現在の 優生学への批判軸からナチズム批判を取り去ってしまおうとする危険な論議に変容することは ないのか。また、常石のいうように、本当にこれらの人体実験は、戦後の医学の発展に貢献 したと断言できるのか。― 本報告は、そもそも医学と人間の基本的な関係を出発点として、医学の必要性はどこにある のか、今後の先端医療技術の進歩とともにどんな「新しい倫理」が要求されるのか、などの 基本的な問題に対する解答を模索しようとする一つのささやかな試みである。そのためには、 なによりもまず、これまでの過去の歴史を検証することからはじめなければならない。1980 年代から90年代にかけてのドイツでは、すでにこうした歴史検証がはじめられ、21世紀に 入った現在では、その作業も終りに近づいているといってよいだろう。日本は、このドイツの 動きに遅れはしたが、今、その検証作業を再開すべき時にあるのではないか。そうした仕事 を通じて、はじめてわれわれは新しい医学倫理の確立に向かって、一歩を踏み出すことが できる。

                    昼食

13:30-14:45 話題提供3 金森 修

  「タスキーギ研究の科学と文化」

1932年から40年にもわたって続いた一種の人体実験をめぐる報告。1930年代 初頭の系統的梅毒罹患調査によって、アメリカ南部、アラバマ州タスキーギ近辺に 住む黒人零細小作人たちがきわめて高い罹患率を示しているということがわかる。 本来ならその調査直後に治療を始めるところだったが、経済的理由により治療 実施を断念せざるをえなかった医師たちは、そこで彼ら黒人零細農を純粋な感染 集団と捉え、治療を放棄して経過観察をすることを決意する。ほんのわずかの期間 で終わるはずだったその経過観察は、実際には72年にマスコミに暴露されるまで 40年も続く。本報告は、この未曾有の人体実験の委細顛末に素描を与え、その 評価を、擁護論と反駁論を戦わせる形で、その倫理的意味を探る。

           休憩      

15:00-15:30  レスポンス1 小松美彦

15:30-16:00  レスポンス2 香川知晶

休憩

16:15-17:30 総合討議  司会 金森 修

17:30-18:30  懇親会              

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