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1. ワークショップの目的 「伝統的でなじみのある知識生産の方法と並んで、新しい知識生産の 方法が登場しつつある」と謳って、M.ギボンズらがそのマニフェストの 書 The new production of knowledge, SAGE, 1994を発表してから10年 近く、訳書での紹介からも5年余が経つ。しかし、そこで導入された「モ ード」という概念、つまり、知識生産(と消費)の様式論は、果たして、現 代の科学技術活動の姿を、そしてそのあるべき姿を適切に捉えるもの なのだろうか。流行思想としての一時の熱がさめた今、改めて、その 混乱も含め、様々な視点から再検討が必要だと考える。 知識生産のモードという概念は、どのような知識を生産するのかという その内容だけでなく、それらをどのように生産するか、つまり、知識が生 産される(そしてそれが消費される)コンテクストや、さらにそこでの知識 生産を組織する方法、そのあり方、様式までを含んだものとされる。本 ワークショップでは、これらそれぞれの側面に焦点を当てながら、モード 論の可能性とその一方でそこに見られるある混乱を議論したい。 混乱とは、例えば、アカデミズム、その各学問分野ごとのコンテクストの 中で、主として新知識の拡大を目的としてなされてきた「伝統的でなじみ のある知識生産(と消費)の方法」である「モード1」という様式と、既存の 各学問分野においてそれを(含んでそれを)越え出た「現場」というアプリ ケーションのコンテクストの中で、そこでの問題解決を目的としてなされ る「新しい知識生産(と消費)の方法」である「モード2」という様式との関 係にかかわる理解の混乱である。 同様の混乱は、そのコンテクストと知識追求の目的はアカデミズム科学 とは異なるが、同じく、官・産セクターでの知識生産・消費についても見ら れる(また、アプリケーションとか「現場」というコンテクストの意味を取り 誤って、官・産セクターでの知識生産・消費はそれ自体が全てモード2の 様式だとの誤解も広く見られる)。 つまり、これらは、冒頭の引用の含意をどう取るかにかかわることであり、 そこでは、新たに登場しつつあるモード2がいずれ優勢になりモード1に 取って代わるのか、それとも、両者あるところで均衡して棲み分けるのか、 そんな議論が繰り返されてきた。しかしそこには、ある混乱があるように 思われる。 さらに、モード1の下で産出される知識が備えるディシプリナリな性格、内 容と、モード2の下で産出されるそれのトランス・ディシプリナリな性格、内 容との異同をめぐる理解にも混乱がある。 ディシプリナリな知識(そしてマルチ/インター・ディシプリナリな知識)も、 トランス・ディシプリナリな知識も、ともにある共同への意思に支えられたも のであるが、それぞれが向かう共同性が区別されなければならない。そし て、その異なる共同性のあり方、つくり方を明らかにしなければならない。 本ワークショップでは、こうした点を具体例に則して議論することにしたい。 そして、議論は、自らもモード2、トランス・ディシプリナリな知識の生産だと するSTSをめぐる可能性と混乱にも及ぶだろう。 2. ワークショップの時間割 9:45-10:00 ワークショップ趣旨説明 10:00-11:15 話題提供1 (討議25分を含む・以下同) サトウタツヤ(立命館大学・文学部・心理学) 「モード論から見た心理学:その学範形成と学融志向」 心理学は人間とその生活に関する学問として前世紀末頃に成立したと される。この心理学という学問について、その成立や展開についてモ ード論の立場から検討することで、心理学の特徴の一端を明らかにす ると共に、モード論的議論の可能性について考えてみたい。 ギボンスらの著には人文系の例として歴史学のアナール学派が取り上 げられてはいるが、社会系学問についての記述はない。心理学とその 関連領域について検討することは人文・社会系学問をモード論的に見 ることにつながりうる。 まず、議論の前提として、心理学は科学や技術たりうるのか、人文系 なのか社会系なのか、という議論(疑問)もあり得るだろうから、そ の点について最初に若干の説明を行う。 19世紀中葉以降に「精神についての考察」という解をもとめた哲学と 科学の協同作業を心理学の源流と捉えた場合、この学問はまさにモー ド2的だったのかもしれない。しかし、知的遅滞児の客観的理解とい う解を求める教育現場の実践家と心理学者たちの協同作業が成功を収 めたことで、哲学と科学の協同作業だった心理学は新しいモード1と して成立したのではないか。その後、モード1的には行動主義や精神 分析の影響が顕著となるが、第一次世界大戦における兵士選抜(陸・ 海・空)、第二次世界大戦における戦争神経症への対処など、多くの モード2的提案が心理学には投げかけられ、多くの心理学者が関わっ ていた。そしてその経験は戦後の心理学の展開に大きく寄与した。 ただし、発表者自身もこの数年心理学者として関わった「法心理学」 (たとえば目撃証言の信憑性)に関していえば、共通の解が求められ ているようであって、実際は法廷で必要な知識の供給こそが求められ ていると感じるような領域も存在する。最近は、脳科学や老人精神医 学などと心理学との協同作業も多く見られるようになってきたが、こ の例に限らず、どのアクターの「土俵」の上での解の生産が優勢たり うると見通しているのか、ということを見極めないと、(心理学者に 限らず)あるアクターたちは単なる技術供与者として「使われる」だ けになってしまう。この意味で、先にあげた軍と心理学の協同作業は 協同作業という名に値するのか、という検討も必要になる。人文・社 会系学問では「アプリケーションのコンテキスト」が成立しにくいと いう事情もあるためにこうした検討が重要になると思われる。 モード論という補助線を用いることによって、人文・社会系に近い学 問における学融(トランスディシプリナリティ)のあり方やそれを妨 げるものについて理解することも可能になるのであれば、外部史−内 部史の「対立」を止揚するものとしてモード論の意義は小さくないの ではないだろうか。 11:15-12:30 話題提供2 平田光司(総合研究大学院大学・教育研究交流センター・物理学) 「高エネルギー加速器建設のモード」 先端的加速器の建設にあたっては、力学理論、電磁石、高周波空洞、真空、 ビーム計測、フィードバックなど、専門のことなる専門家が協力する。業 績の評価も論文だけでは無く、プロジェクトへの貢献によって測られる。 この意味で先端的加速器の建設はモード2のように見える。しかし、この 研究者集団は分野横断的に専門家を「寄せ集め」たものでは無く、長年に わたって加速器建設にたずさわり加速器全体についての知識を持つ「同族 集団」でもある。各専門においては、与えられた任務を遂行するだけでな く、他の専門分野、全体のデザインにも口を出す全体性をも持っている。 また、知識追求のためのモード1的な研究(論文生産をベースとする)も 同時におこなわれており、それが、任務遂行にも必要である。先端的加速 器の建設は、加速器に関する暗黙知を共有する専門家集団でしか、行えな い。そのために、高エネルギー物理学の業界は、加速器研究者集団を抱え ているのである。さまざまな問題に対処すべく、モード2のような研究の ありかたが必要だとしても、トップダウン的に専門家を寄せ集め、任務を 割り当て、成果をまとめて終わり、というようなものであってはならない だろう。 昼食 13:30-14:45 話題提供3 山脇直司(東京大学・総合文化・相関社会科学) 「トランスディシプリナリーな学問としての公共哲学:学問の構造改革のために」 現在の日本のアカデミックな知のモードは、学術会議公認の学問分類(コード) 表によって強く規定されている。東京大学本郷キャンパスの学部学科構成とほ ぼ合致するこの分類法は、日本での学界活動において広く再生産・流通・消費 され、多くの学者の大まかな学問理解を規定しているイデオロギーと言ってよい だろう。だが、このような知の再生産や学問理解によっては、21世紀の今日、 人類が直面している地球環境、科学技術、平和、社会的公正、諸文明・諸宗 教の共存など大きな問題群にも、国内における政治・経済・教育など広範な 領域にわたる公共的諸問題に対応できない。そのためには、「ポスト専門化」 時代における公共哲学というトランスディシプリナリーな学問による「学問の構 造改革」が必要である。実際、実証的記述対象と規範的価値理念の双方を含 みもつ公共性や公共世界というキー・コンセプトは、トランスディシプリナリーな 論点として、分断化され蛸壺化された諸学問を共通の土俵に乗せる起爆力を 秘めている。なぜなら、公共性や公共世界を語ることで、実証的・記述的諸学 問は理念的・規範的次元に立ち入らざるを得なくなるし、哲学や倫理学は、歴 史的経験的次元に裏打ちされなければならなくなるからである。それはまた、 グローバルな視点を保持しつつも、ローカリティ(地域や現場)に根ざした人々の 実践知ともリンクする「グローカルな」公共哲学として展開される必要がある だろう。 休憩 15:00-15:30 レスポンス1 松本三和夫(東京大学・文学部・社会学) 15:30-16:00 レスポンス2 桑子敏雄(東京工業大学・社会理工学・ 社会的合意形成論)・依頼中 休憩 16:15-17:30 総合討議 司会 木原英逸(国士舘大学・政経・科学技術論) 17:30-18:30 懇親会
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