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1. ワークショップの目的 本ワークショップは以下のような問題意識にもとづいている。 1)1999年のJCO事故、雪印の食中毒、2001年の狂牛病発生、薬害エイズ裁判など、 科学と社会の接点において発生する問題があとをたたない。それらは環境、医療、 食糧など多岐に渡っているが、そこに横たわる本質的な問題には同型性があるの ではないか。 2)この同型性をきちんと知識として蓄積していないために、いつもプリミティ ブな論議が、事故や事件がおこった直後にのみ、マスコミを騒がせるのではない か。 3)そうではなく、これらの知見や議論の積み重ねを「蓄積」し、今後の問題の 解析に生かすためには何ができるだろうか。 このような問題意識に裏付けされ、その同型性をどのように理論構築可能か、を 問うことが本ワークショップの目的である。 このような同型性を議論することは、環境、医療、食糧等分野ごとの違いを明記 するのと同じくらい重要なことである。何故なら、同型性を記すことによって、 STS(科学技術社会論)はSTSとしての独自性(独自分野として探求が必要な領域とし ての存在理由)を他に示すことができるからである。ここで他とは、市民、自然科 学の専門家、そして行政担当官である。 我々は、この同型性を議論するために、科学と社会の接点において発生する諸問 題を語るときのコンセプト(分析視点)と、各事例との対応を議論してきた。たとえ ば分析枠組みについては、メンバ間によるブレーンストーミング、4S(国際科学技 術社会論学会)編のハンドブックの輪読を通して、検討してきた。たとえば、「テク ノグローバリズム(グローバリゼーション)」「科学と民主主義」「ガバナンス」 「公共空間」/「不確実性下の意志決定」「予防原則」「リスク管理」/「市民参 加」「ローカルノレッジ」/「科学コミュニケーション」「科学の公共理解」など の項目が挙げられる。(これらの大きな分析視点に対し、中程度の分析概念(コンセ プト)もある。たとえば、フレーミング、認知的文化(Epistemic-Culture)、状況依 存性(Situated-Knowledge)、境界作業(Boundary-Work)、トランスサイエンスなど) 本ワークショップの2つの理論編(報告1,2)では、これらの大枠の分析枠組みを どのように捉えたらよいのかについて検討する。小林報告では「科学と民主主義」 の捉え方を考え、木原報告は、「グローバリゼーション」下の「ガバナンス」を考 えることと、「市民参加」をつなげて捉える。 続く3つの事例編では、まず杉山報告の水俣病事例において、上記コンセプトのう ち、「不確実性下の意志決定」「予防原則」「リスク管理」「科学コミュニケーシ ョン」といった分析視点が扱われる。続く梶報告によるイタイイタイ病の事例では、 上記分析視点のうち、水俣事例と同型の分析視点が必要とされるほか、何故、イタ イイタイ病では現地の専門家と企業との連携が可能となったのか、という分析を通 して、「公共空間」「ガバナンス」「科学と民主主義」「市民参加」といったこと が、さらに議論されうるだろう。 さらに、狂牛病の事例では、「不確実性下の意志決定」「予防原則」「リスク管理」 の典型となる事例になるだけでなく、この事例が日本だけでなく世界につながると いう意味で、食糧、健康問題の「グローバリゼーション」「ガバナンス」ともかか わってくる。 本ワークショップでは、このような分析視点と同型性の問題意識の素描を行いなが ら、参加者のみなさんとともに、このコンセプト×事例の同型性議論の発展の可能 性を探ってみたいと考えている。 2. ワークショップの時間割 10:00-10:30 プロジェクトの概略 藤垣裕子 (東京大学) 10:30-11:30 話題提供1・理論編1 (討議20分を含む・以下同) 小林傳司 (南山大学) 「テクノデモクラシー(科学と民主主義)」 1960年代後半のSTS(科学技術社会論)立ち上げに関与したDavid Edgeは1995年の 段階で、その歴史を振り返り、現在は「車輪の再発明」のように、社会が再びSTS的 問題に関心を高めていると述べている。なぜ、1960年代にSTSが立ち上がり、なぜ 1990年代になってあらためて注目されるようになったのか、を考えたい。その上で、 STSはなぜ30年間認知されなかったのか、90年代以降のSTSがどのような変化を示して いるのかを考える。EdgeはSTSが苦難の歴史をたどった理由として、「科学という社 会制度―信頼できる知識の源泉−を分析するということは、現代社会における科学、 教育、法その他の制度の活動を正当化し正統化する神話そのものに挑戦することにな るから。この神話の除去は、社会における権力と権威の構造の変更を意味するという 意味で、政治的変化をもたらすものである。」と述べている。90年代以降のSTS研究 のひとつの焦点が、科学(技術)のガバナンスという問題群であり、そこからさまざ まなPublic Involvementの試みが模索されていることを見ると、Edgeの見立ては正し い可能性がある。こういった観点から、科学と民主主義の問題を改めて検討してみた い。 11:30-12:30 話題提供2・理論編2 木原英逸 (国士舘大学) 「<社会技術> 再考」 「社会技術」が何を意味するのか、そして何をしようとしているのかは、いまもって明 らかではない。本報告では、その兄弟概念と思われる、科学技術にかかわる公共政策領 域での「ガヴァナンス」の意味を検討し、それが現実に果たしている役割を考える。 昨今、新しい社会統治の方法,秩序環境の変化という意味で用いられているこのガヴァ ナンスを、主に国内統治のそれに限れば、その由来は、70年代後半以降の、財政赤字の 増大と「政府の失敗」と言われる公共部門の非効率性の認識にある。それに、80年代末 以降は、グローバリゼーションの進展が一国政府の役割を相対的に縮小しつつあるとの 認識が加わる。そこで、政府・行政だけでなく、自治体、市場、NPOなど多様な主体の参 加を求め、その間の協働、妥協、合意による政策設計を考えたのが、「ガヴァナンス」で ある。しかし、このガヴァナンスという観点にはいくつか死角がある。まず、これら多様 な主体の参加が公共的問題を解決する保証がない。例えば、公共的問題の解決に参加する 市民が形成されつつある一方、利益配分政策の受益者としての私民の意識も強い。私益を 越えた問題解決について、民主主義で決定できるかどうか、論議はまだ未成熟である。 市場にも周知の問題がある。また、主体間での協働、合意形成へ至る過程の設計・検討も 十分ではない。例えば、一つの政策を決定するには、いうまでもなく、「参加」が必要で あり、同時に「専門家による代替案の分析と選択肢の提示」が必要である。しかし、この 二つをどう組み合わせるかは、難しい問題である。専門家の意見があまりにも幅をきかす と、参加の意欲がそがれ、参加をあまりにも強調すると、専門家の意見は軽視される。現 状は「参加」も不十分、「専門家集団による政策選択に関する討議」も不十分といった混 乱があるように思われる。さらに、協働が、経営システムと支配システムという表裏2重 の性格を持たざるを得ないことの認識を欠き、もっぱら「行政」から「経営」へと、社会 の経営問題のみを論じている。こうした死角を埋め得て初めて、ガヴァナンスに「市民 社会の自己統治」への道が開かれてくるのだと思われる。死角への認識を欠けば、それは 市場の席捲への露払いに墜すだろう。 12:30-13:30 昼食 13:30-14:30 話題提供3・事例編1 杉山滋郎 (北海道大学) 「水俣事例」 「水俣病事件」については、膨大な研究の蓄積がある。がそれらは主として、企業 ・行政サイドの対応を問題にしたもののように思われる。「水俣病事件」はまた、 STS教育の格好の題材としても定番になっている。しかしそこでの扱い方も、上述の 視角に縛られすぎているように思われる。 それに対し報告者は、「水俣病事件」の 展開があのようになってしまった一因としての「普通の人々」の科学理解をとりあ げ、科学コミュニケーションのあり方(報道のあり方、科学教育のあり方、など)に ついて問題提起する。その問題提起は、以下のような点についての分析をもとにした ものである。(1)「水俣病事件」の展開が、当時どのように報じられ、そのなかで 「普通の人々」がどのように考えたか。(2)それから50年近くたった今日、同じく 「普通の人々」が同様の報道に接したとき、どのように考えるか。 14:30-15:30 話題提供4・事例編2 梶 雅範 (東京工業大学) 「イタイイタイ病事例」 イタイイタイ病は、富山県の神通川両岸の一定地域に発生した非常な痛みをともな うカドミウム中毒症である。1968年に、この病気が神通川上流の三井金属 鉱業神岡 鉱業所から排出されたカドミウムを原因とする公害病であることが厚生省によって認 められた。患者たちは、同年、カドミウム汚染源とされた三井金属鉱業に対して被害 の補償を求める民事訴訟を提起した。裁判は患者側の勝利に終わり、1972年に患者団 体と三井金属鉱業との間に補償協定と公害防止協定が結ばれた。とくに公害防止協定 は他の公害病では見られない画期的なもので、1972年から毎夏に患者団体・弁護士・ 科学者・一般市民による鉱山の立ち入り検査が三井側の費用で実施された。30年にお よぶ立ち入り検査と交渉・環境改善提案の積み重ねの結果、神通川上流のカドミウム を自然界レベルまで低下させることに成功した。この成功を、水俣病の例と比較しな がら、専門家と一般市民の参加の公害防止運動における役割について考察する。 15:30-16:30 話題提供5・事例編3 神里達博 (社会技術システム) 「狂牛病事例」 今春,世界はSARSのoutberakに混乱した。このような,かつて人類が出会ったことの ない,或いは既に忘却してしまった疫病が出現した時,その危険性を誰が如何にして 見積もるか,そして誰の判断・責任において対処するかは,現代社会全体にとって喫 緊の課題である。同時に,これは単なる公衆衛生の問題にとどまらない複雑な様相を 呈することが多く,その意味で科学社会学の対象となりうる。 BSE,いわゆる「狂牛病」も,その発生地英国において,また日本においても, 様々なレベルで我々の社会の弱点や問題を浮き彫りにした。疾病としてのBSE自身, そしてその発生に伴って起きた社会的な現象・事件は,それぞれ極めて複合的な性格 を持っており,そのために対処が困難になったとも言える。そこには例えば,ギデン ズ流に言えば「徹底したモダニティ」が新たな疾病を生み出したという「農業の工業 化」,また,BSE拡大の背景となった「グローバル化した世界状況」,そしてヒトの ための医学と獣医学の制度的狭間に落ちやすい「人獣共通感染症」としての困難,等 が含まれている。 これは逆に見れば,適切な角度で問題の断面を切り出し,分析することによって, そこから多くの知恵が得られる可能性があることを意味するだろう。ここでは主とし て日本におけるBSE発生を検討することで,我々のおかれている危険な状況の実像を 把握する材料となればと思う。 16:30-17:00 休憩 17:00-18:30 総合討議 討議者 交渉中 司会 藤垣裕子 (東京大学) 18:30-19:30 懇親会
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