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第42回 戦争の日常化と科学技術
 

2004年9月25日(土)9:45-17:30

東京大学先端科学技術研究センター13号館 109号室

1. ワークショップの目的

本ワークショップの柱は2つある。ひとつは日本の戦時下における科学技術の研究開 発の実態および科学者や技術者という、ヒトの行動を見ること。当時、社会的にはヒ トが戦争協力するのは当然のことだった。もうひとつは、それら研究開発が実施され てから何十年も経過した非‐戦時下の日本で、戦時下の研究活動の実態を歴史的に明 らかにする際にどんな社会的ハードルがあるかを明らかにすることである。歴史研究 者の多くは、自らの努力不足は棚に上げ、現在の日本社会は戦争の実態を暴くことに 否定的であると感じている。 話題1では、侵略戦争による領土拡大によって研究の領域が広がる学問分野が存在 し、それに対して当事者である研究者がどのように考えていたか、あるいはどう気付 いていなかったかなどが明らかにされるだろう。後者の研究者にとって戦争は日常化 しており、こうした認識はなかったかもしれない。 話題2では、兵器の開発および製造の実態と、戦後半世紀経過してもその実態が公文 書で明らかにならない現状が浮かび上がるだろう。これは、今なお日本は「戦時」中 で守るべき軍事秘密がある、と考えている人の存在を暗示しているのかも知れない。 話題3は話題1と2が明らかにした歴史的および現代的状況が、現在進行中の科学技術 開発ではどうなっているかの報告となるだろう。具体的には国際的に無理やり「平和 利用(Atoms for peace)」という図式が作られた原子力開発の、日本国にとっての意 味や、それゆえの情報操作などの実態が報告されるだろう。これはまさに「平時」に おいて「軍事」がどのように行われているかを分かり易く示しているのではないだろ うか。 話題1〜3で語られる科学者や技術者は、いずれも自分で直接人を殺すわけではない。 人を殺すのは良くないと誰もが知っていながらそれに直接あるいは間接に荷担する。 どうすればこの気持の負担を軽くできるだろうか? こう逆説的に問うのは、あるべき姿を説いて終わるのではなく、科学者や技術者が人 殺しなど、やってはならないことに手を染めない、あるいはその度合を小さくする道 を現実的に考えるには、有効かもしれないからだ。必要なのは社会的制度(社会の問 題)の確立と考える人、また各自の心の持ちようだ(ヒトの問題)と突き放す人もいる だろう。実際には多くの人はこの中間、社会とヒトとの間、で行ったり来たりしてい るのではなかろうか。 今回のワークショップでの議論を通じてその道筋がいつくか示されることになれば幸 いである。

2. ワークショップの時間割

9:45-10:00 趣旨説明

10:00-11:15 話題提供1(討論35分を含む。以下同)

    矢島道子(科学史学会会員)

     「戦時科学として地質学を見る」

現在、地質学は地球の起源、さらには惑星の起源まで探ろうとし、防災や環境への働き かけをして社会的に貢献しようとしている。しかし、地質学は古くから、鉱山開発、資 源開発の基礎となる学問でもある。資源調査のためには、まず地形図を作成し、その上 に地質調査をして全国の地質図をつくるという方法をとる。 地質学には、この様に、資源探査開発を目的とする側面が大きくあり、その意味で植民 地、戦争等に密接に関連してきたと言える。本報告では、このような大枠の中で、日本 の地質学(主に戦時)にはいかなる特徴があるかを検討する。 明治の初めは日本が外国人による地質調査の対象であったが、明治の中期以降(日清戦 争は1894―5[明治27-8]年である)には、朝鮮、樺太、満州、中国本土、そして南方へと 地質調査の手を伸ばしていった。朝鮮では地質調査所を1918年に創設し、1924年には地 質図を刊行してしまう。1930年代以降は鉱床調査がさかんとなる。満州は南満州鉄道株 式会社(いわゆる満鉄)地質調査所が主要機関となり、満州帝国地質調査所、旅順工科 大学、満州国立中央博物館がそれを支持した。ほぼ地質図を完成し、資源調査も学術調 査もかなり進んだ。樺太は1907年に樺太庁が設置され、油田調査はかなり進んだ。1929 年に上海自然科学研究所が設立されて積極的に中国本土に入り込んでいくことになる。 いわゆる15年戦争(1931-1945)は資源をめぐる戦争といってもいいから、好むと好まない に関わらず、地質学は戦争の前面に直接出てくることになる。南方の調査は実際に戦争 が始まって、軍が油田を制圧し、精油所を占領し、オランダ系の研究所を接収してから はじまり、政治的軍事的資源調査に限定されていた。 物理学を代表とする他の科学は、もともと戦争と独立であり戦時にのみ戦時科学として 存在するように認識されがちであるが、地質学は資源開発その他で、常に戦争の中心に からめとられる。地質学は戦時?平時をこえておそらく現在も戦争の真ん中に巻き込ま れているであろう。

11:15-12:30 話題提供2

    松野誠也(駿台史学会会員)

     「日本軍における化学兵器の研究・開発と実戦使用」

日本軍の毒ガス兵器は、過去の戦争中から今日に到るまで、他国民及び自国民に対して 災厄をもたらしている「負の遺産」である。本報告では、日本軍の毒ガス兵器の問題を、 以下の視点から検討し考えてみたい。 まず、毒ガス兵器開発について、外国からの技術導入の問題や、民間企業と科学者の関 与の点から検討を行い、戦争と科学・企業の問題の一端を考察したい。第2に、日本軍 の軍事思想に基づいた毒ガス兵器開発及び実戦使用の問題を検討し、毒ガス兵器から見 た戦争の諸相を検討する。 以上を通じて、日本の過去の歴史から、今なお解決していない「大量破壊兵器」の問題 を考える、一つのささやかな試みとしたい。

       昼食

13:30-14:45 話題提供3

    藤田祐幸(物理学会およびエントロピー学会会員)

     「日本の原子力政策の軍事的側面」

非核三原則の下での「平和」目的の原子力開発の軍事的側面を、歴史的に検討することを 主題とする。 1958年正月に首相岸信介は年頭最初の行動として、伊勢神宮でも靖国神社でもなく、東 海村の原研を視察した。岸は回顧録の中でこのときの心境を「原子力技術はそれ自体平 和利用も兵器としての使用もともに可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意 思の問題である。日本は国家・国民の意思として原子力を兵器として利用しないことを 決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれ て、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器は持たないが、潜在的 可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における 発言力を強めることが出来る」と書いている。 政治家のこの冷徹な見識に比較して、科学者あるいは市民運動側の認識は、あまりにも 貧弱であったといわざるを得ない。 いま、政府は核燃料サイクル計画の挫折を受けて、軽水炉でプルトニウム燃料を燃やす プルサーマル計画へと重心を移しながらも、再処理工場の建設工事を継続し、「もんじ ゅ」の再開の機会を測りつつある。技術的にも経済的にも成り立ち得ないこれらの計画 を、国策として推し進めるその背後には、一貫した核政策があることを見逃すことは出 来ない。岸信介の言う所の「国家意思」を、今こそ問い直すことが必要であろう。 核燃料サイクル計画に対し、軍事転用の技術的可能性を論ずることが、反原発運動や反 核兵器運動の内部において、タブー視される傾向があった(ある)ことも、指摘してお かねばなるまい。 報告の概要は以下の通りである。 1.学術会議の二つの声明/2.茅・伏見提案と三村演説/3.科学技術庁構想/ 4.中曽根予算/5.原子力挙国体制の成立/6.科学者の武装解除 7.岸信介の核兵器合憲論と国家意思論/8.佐藤栄作のトリレンマ/ 9.日本核武装計画

     休憩

15:00-15:30 レスポンス1  川村一之(エントロピー学会会員)

15:30-16:00 レスポンス2  河村豊(科学史学会会員)

          休憩

16:15-17:30 総合討議

          司会 常石敬一(科学史学会会員)

17:30-18:30 懇親会

 

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