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1. ワークショップの目的 科学技術社会論が、もしほぼ同時代の科学政策的決定過程の対象化だけに専念 するようなことになれば、それは科学技術社会論にとって、マイナスにはなっ てもプラスにはならないだろう。科学技術の社会への関わり方は、あまりに多 様で複層的なものなので、科学政策の場面で問題化・主題化されるものは、そ れらのごく一面を切り取ったものであるにすぎない。それに特化することは STSをむしろ貧困にするものだ。 この基本的な認識のもとで、われわれは、もちろん科学政策的志向性自体の価 値を貶めるということではなく、違う切り口を探した。そして、科学・技術が 社会、ないしは一般市民の間でどのようにイメージされ、どのように利用され ているのかを知るということも、極めて重要な話題なのだという認識に到達し た。それは科学的知識の科学性とは若干異なる、科学的知識の一般社会への流 通、流用、濫用、通用自体の様態を、記述的に見るという作業を基礎にしてい る。それは一般的位相において、それ自体の興味深さをもつことは間違いない。 ただ、今回の研究会では、その種の一般的位相での議論は避ける。そしてある 特定の具体的話題に絞りながら、科学・技術的概念が、或る文化的局面に浸透 していく様態を個別的にみることを目標とした。それは主に二つの主題に分け られる。まず一つは、小倉・金森による、十九世紀フランス自然主義の大作家、 エミール・ゾラの文学的世界の分析である。ゾラは積極的に遺伝学を援用した ので、当時の遺伝学と、ゾラの文学的世界の間の分析を金森が行う。 小倉は、生理の描出のされ方の具体的検討の過程で、主にゾラの身体表象に注 目した分析を行う。 もう一人の、菅野は上記の二人とは若干異なるアプローチをする。そして十九 世紀に何度か見られた、測定癖に焦点を当てる。測定という、客観的作業その ものであるかのような切り口自体が、時代・文化拘束性のなかで、どのような 形姿をもって現れるのかを具体的に論じる。 この三つの報告を通して、大きく十九世紀フランスの文化における、科学性の 表象の在処を探る。このような主題をも科学技術社会論の一環に組み込むこと は、その射程や奥行きを広げることだ、とわれわれは信じている。 2. ワークショップの時間割 9:45-10:00 趣旨説明 10:00-11:15 話題提供1(討論35分を含む。以下同) 小倉孝誠(慶應義塾大学・文学・文化史) 「ゾラと身体の表象」 自然主義文学にとって、身体は特権的なテーマの一つである。そのことはとり わけ『ルーゴン=マッカール叢書』の作者に当てはまる。ゾラは病理、遺伝、 セクシュアリティー、感覚など身体にまつわる現象を徹底的に描いた作家であ る。そのなかで三つの主題に焦点を絞って論じることにしたい。第一に身体の 政治性。社会の諸集団の欲望と利害が衝突する空間として自分の作品を構想し、 農民、労働者、職人、商人、ブルジョワ、貴族などあらゆる階級を登場させる ゾラは、そうした人々の営みを異なる身体文化として表象し、身体そのものが 階級性を強く刻印されていることを示した。第二に身体の生理学的な規定性。 ゾラにおいて、女性とりわけ若い女性の身体は生理学的なドラマが展開する場 にほかならず、そこではジェンダーの力学がはっきりと露呈する。そして第三 に見つめられる対象としての身体。ナナのような女優=娼婦が男によって見られ、 値踏みされることによってのみ存在しうるのは当然として、堅気の女性たちも またしばしば裸身をさらす。そしてその時、男たちは欲望すると同時にたじろ ぎ、不安に駆られる。 11:15-12:30 話題提供2 金森 修(東京大学・教育・科学思想史) 「ゾラの遺伝学」 ゾラの『ルーゴン=マッカール叢書』は、プロスペル・リュカなど、当時存在し た遺伝学者が奉じていた遺伝学を参考に作られた一種の強い遺伝的決定論を背景 にもっていた。ただ、周知のように、1860年代に行われたメンデルの作業は 科学的に回収されることはなかったので、その後に展開された遺伝学は、現代的 な離散的な遺伝子概念にまったくかけており、遺伝の様態も、混合遺伝の伝統に 則したものだった。まずはその限界がある。にもかかわらず、ゾラの「遺伝学」 は、多くの点で興味深い。まず、遺伝学史の流れのなかで、影響遺伝のように興 味深い概念がある。それに何より、その遺伝学的前提の際どさにもかかわらず、 それを無にするほどに豊かな、彼の文学的世界がある。私は、当時の遺伝学、そ れとの関係におけるゾラ、そして彼の文学的想像力自体を相関的に見ることで、 当時の科学文化の一端を回顧することを目指したい。 昼食 13:30-14:45 話題提供3 菅野賢治(都立大学・人文・文学/文化史) 「「ものさし」の彼方――19世紀末の「測定狂」について」 なにがしかの事象を把握する目的をもって「ものさし」を持ち出す時、人間の科 学的思考の内部では一体何が起こっているか? 18世紀、ジュネーヴの自然史学 者シャルル・ボネは人間の心的事象にあてがう「ものさし」として早くも「心理 測定器」を夢想し、19世紀、ベルギーの数学者アドルフ・ケトレは「人間の知的 組織を直に測定するための手段」として「人体測定法」を提唱した。ほどなく、 パリ警察のアルフォンス・ベルティヨンの手によって「実用化」に漕ぎ着けた司 法人体測定は、ドレフュス事件のうちに途方もない錯乱ぶりを呈することとなる。 ここでは、ドレフュス事件発生前夜、医師エドゥアール・トゥールーズが作家エ ミール・ゾラの身体にあてがった「ものさし」を検証しながら、19世紀末のヨー ロッパを席巻した「測定狂」の実像を浮かび上がらせたい。 休憩 15:00-15:30 レスポンス1 菅谷憲興(立教大学・文学・文化史) 15:30-16:00 レスポンス2 隠岐さや香(東京大学・総合文化・科学史/文化史) 休憩 16:15-17:30 総合討議 司 会 金森 修 17:30-18:30 懇親会
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